市ヶ谷から神楽坂へ!皆川典久さんと坂・暗渠をめぐるスリバチ散歩
2026年10月17日(土)開催|ツアーレポート

階段の上から、鳥居と坂下の街を見渡します。
下り坂の先に、また上り坂。市ヶ谷のお屋敷街の間には、深く入り込んだ谷がありました。向かい合う斜面を見比べ、ときには谷底へ。東京スリバチ学会会長・皆川典久さんと歩くと、道の高低差そのものが見どころになります。
2026年10月17日(土)のWANDER×WONDERは、市ヶ谷から神楽坂を経て飯田橋へ。周囲を高い土地に囲まれた「スリバチ」状の窪地や、川を地下に収めた「暗渠(あんきょ)」の道をたどります。谷底の商店街から、高台の住宅地、石畳の路地へ。上り下りしながら、街の成り立ちを教えてもらいました。
市谷亀岡八幡宮から、外濠の谷を見渡す
市ケ谷駅を出発し、まずは外濠の水辺へ。皆川さんは、靖国通りの方に延びる谷と、四ツ谷へ向かう側を指し分けます。もとの川や谷を生かしたところもあれば、台地を掘り開いたところもある。自然の地形に手を加えながら、江戸城の外濠をつくったのだそうです。
橋を渡り、ビルの裏手にある市谷亀岡八幡宮へ。長い階段を上りきったところで、皆川さんに促されて振り返りました。
「外堀が自然の谷間なんですよね」
向こう側に建つ日本大学の敷地も、こちらとほぼ同じ高さ。その間に、外濠が横たわっています。水辺からは分かりにくかった両岸の高さを、今度は階段の上から見比べました。
銅鳥居に掲げられた「八幡宮」の額では、「八」が一対の鳩の姿になっていることにも注目。お参りをして、次の谷へ向かいます。

青空の下に立つ、市谷亀岡八幡宮の社殿。
長延寺谷に残る、商店街と倉庫の記憶
防衛省のそばを進み、住宅の間を下って「長延寺谷」へ。谷を見下ろせるところで、皆川さんが声をかけました。
「これはいいスリバチでしょ」
両側の高い土地に挟まれ、低い道が奥へと続いています。皆川さんによると、川がつくった東京のスリバチには、こうした細長い形が多いのだそう。

高い道から谷側の建物を見下ろします。
この場所には、もともと大日本印刷の倉庫が並んでいたとのこと。建物がなくなったことで、今は谷の形がよく見えると教えてくれました。街の建て替わりによって、隠れていた地形が現れることもあるんですね。
谷底には、ぽつぽつとお店が残っています。皆川さんは、川に蓋をして商店街にした場所の話をしながら、この谷にも残る商いの名残を紹介。そこから見上げる反対側の高台は、市谷砂土原町のお屋敷街です。坂を挟んで、違う街並みが向かい合っていました。
芥坂の階段を上り、鰻坂を見比べる
谷底から上るのは、「芥坂(ごみざか)」の階段。石垣に挟まれた緩やかな上りを前に、皆川さんの話は写真の撮り方へ。人が歩いていると、こんな坂道も――
「絵になったりするんですよ」
皆川さんに促され、先に上っていく人の後ろ姿を、階段の下から眺めました。坂の形を見ていたところから、その中を歩く人へと、写真に収めるものが変わっていきます。
高台の住宅地を進むと、今度は「鰻坂(うなぎざか)」。一方の坂を下りてから、向かい側へ回り込みます。
「ウナギっぽいですね」
皆川さんが示す坂は、S字を描くようにくねくねと上っています。こちらから見ると、なるほど鰻坂。坂の途中では煉瓦の積み方にも話が及び、地形を見ながら建物にも目が向く道のりでした。
東京日仏学院で、柱の上を見上げる
逢坂(おうさか)の途中にある東京日仏学院でひと休み。坂倉準三が設計した旧館と、藤本壮介による新館がある場所です。休憩のあとには、旧館の建物も見ていくことに。

東京日仏学院の白い外壁と、屋外に設けられたらせん階段。
皆川さんが示したのは、柱の上部。漏斗のように広がった部分が、平らな床を支えています。梁を使わない「フラットスラブ工法」だと教えてもらいました。建築の名前を聞くだけでなく、下からのぞいて支え方を確かめます。

柱の上部が広がり、床を支える様子に注目します。
二重らせんの階段も話題になりました。ただし、この日は階段室に関係者以外の立ち入りを禁じる表示があり、中へは入らず、見える範囲で眺めました。見学できる範囲は現地の掲示・案内に従います。
神楽坂の魅力は、先が見えない路地にも
外濠沿いへ下り、再び坂を上って若宮八幡神社へ。近くから見下ろす谷を、皆川さんは、中世の牛込城を守る堀に利用された可能性がある地形として紹介してくれました。高いところから眺めたあとは、その谷底まで歩きます。
熱海湯の前を通り、細い路地へ。皆川さんによると、銭湯やコインランドリーも、川跡を探すときの手がかりになるそうです。お店の並ぶ道を眺めながら、周囲より低いところにいることも確かめました。
見番横丁をはじめとする路地をたどり、毘沙門天を祀る善國寺へ。境内で出迎えていた石像は、狛犬のように見えて、実は虎。参拝のあとも、石畳の道を進みます。
「先が見えないくねくねした通り」
皆川さんが挙げるのは、そんな道と、石畳の坂、ところどころにある隠れ家的なお店。その組み合わせが、神楽坂の魅力なのかもしれないと話してくれました。

建物の間を抜けて続く、石畳の細い道。
気に入ったお店があっても、あとで同じ道へ戻ってくるのは難しいかもしれない、とも。何度も曲がりながら路地を抜け、午前中の光が差す石畳で、集合写真も撮りました。
筑土八幡神社から、白線を頼りに川跡探し
この日、三つ目の八幡さまとなる筑土八幡神社へ。階段を上ってお参りをすませると、皆川さんから初参加の方に問いかけがありました。
「この後、川跡があるので当ててください」
神社を下り、低い道へ進むと、川跡として案内された細い通路が現れます。水面は見えませんが、通路へ下りる階段や、脇に残る石垣が目に入ります。

川跡として案内された通路の脇で、石垣を間近に見ます。
さらに皆川さんは道の白線を示し、その右側が川のあったところではないかと説明。ところが先へ進むと、大久保通りと一体になって、川跡は見分けにくくなってしまいます。
皆川さんは、道の低さと古い地図を手がかりに、さらに谷をさかのぼります。先ほど牛込城の南側で見た谷に対して、今度は北側を巡る谷を歩いているのだそうです。
水面の見えない道から川跡を探すまち歩きは、前回の池袋でも楽しみました。
光照寺の牛込城跡へ。谷に囲まれた高台をたどる
袖摺坂を眺め、谷底からまた上り坂へ。袋町の光照寺に着きました。ここは牛込城跡とされていますが、城の規模や構造など、詳しい姿は分かっていません。
皆川さんが手がかりにするのは、高台と、その周囲の窪地。南側と北側で歩いた谷を振り返り、さらに西側の道のくぼみにも目を向けます。西側については、尾根を切って城を守る堀にしたのではないか、という皆川さんの見立てです。
帰り道には、城の痕跡はあるのかという質問も出ました。皆川さんの説明は、高台に館を構え、周囲の地形を防御に使う、中世の城の姿へ。歩いてきた上り下りを思い返すと、城跡のある高台が、谷に囲まれていることを確かめられます。
飯田橋で、ふたたび江戸城の外濠へ
牛込城跡の高台をあとに、神楽坂を下って飯田橋へ。ふたたび江戸城の外濠に戻り、最後は水が流れ落ちる場所を見に行きます。
「ここで川の水をせき止めて、ここで落としていたという場所ですね」
現在見える設備は、江戸時代のものがそのまま残っているわけではない、と皆川さん。目の前で流れ落ちる水を見ながら、市ヶ谷で聞いた、川の水をせき止めて濠にする仕組みを振り返りました。

橋の下で、段差を越えて流れ落ちる外濠の水。
大きなビルが建つ場所には、かつて神楽河岸と呼ばれた荷揚げの場があったそう。皆川さんは、船で荷物が運ばれていた場所を示し、さらに牛込見附に残る石垣へと案内してくれました。
市ヶ谷では、階段の上から外濠を挟む両岸の高さを見比べました。飯田橋では、濠の水が流れ落ちるところへ。その間には、倉庫の跡や商店街、お屋敷街、石畳の路地がありました。坂の上と下で街がどう変わるのかを、皆川さんの言葉に立ち止まりながら、足で確かめた一日でした。
皆川さんの案内で歩くツアーは、プロフィールページで紹介しています。




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