東京の鎌倉街道を歩く!荻窪圭さんと上北沢から大宮八幡宮へ|ツアーレポート

「鎌倉街道入口」の交差点で、道の方向を説明する荻窪さん。
甲州街道にある「鎌倉街道入口」の交差点。鎌倉はここから南にあるのに、入口から延びる道は北へ向かっています。上北沢駅の近くに、なぜこんな名前が残っているのでしょうか。
2026年10月10日(土)、WANDER×WONDERのまち歩きで、東京に残る鎌倉街道の伝承をたどりました。案内してくださったのは、古道・古地図愛好家の荻窪圭さんです。
世田谷区の上北沢駅から歩き始め、杉並区の塚山公園、神田川の鎌倉橋を経て、大宮八幡宮へ。配付された古地図と今の街並みを見比べながら、住宅街に残る道筋を探します。
「鎌倉街道入口」から、なぜ北へ向かう?
上北沢駅から甲州街道へ向かう途中、荻窪さんが話してくれたのは、古い道に興味を持ち始めたきっかけでした。
それは、自転車で都内を走っていたときのこと。大きな道路を避け、走りやすい道を探していると、遠くまでつながる道があることに気づいたそうです。調べてみると、それが昔からある道でした。
そして、古道を調べる大きなきっかけになったのが、目の前の「鎌倉街道入口」。荻窪さんも、この場所にそんな名前があることを不思議に思ったのだそうです。
南の鎌倉へ続いていた道は、上北沢の区画整理などで失われたのではないか。荻窪さんは、そう推測しています。この日は、北側に残る道筋をたどることになりました。
配付資料には、明治前期と現在の地図が並んでいます。今は道路が入り組んでいる場所も、古い地図では甲州街道から北へ延びる一本の道がくっきり。古地図で進む方向を確かめて、住宅街へ入ります。
庚申堂のY字路で、三猿の手足を探す
甲州街道を離れ、玉川上水跡を横切ります。荻窪さんが教えてくれたのは、水路が高い場所を通っていること。一度低いところへ下りると、その先の高い場所へ水を送れません。自然に水を流すため、地形を選んで通しているのだそうです。
そこから坂を下り、ゆるく曲がる道を進むと、きれいなY字路が現れました。二つの道に挟まれたところに、庚申堂(こうしんどう)が建っています。

庚申堂の前で、石塔の見方を教えてくれる荻窪さん。
荻窪さんが注目するのは、道の分かれ方と、その間に何があるか。こうした分かれ道の石塔には、信仰の対象であるとともに、道しるべの役割を持つものも多いと教えてくれました。
お堂で石塔を眺めていると、今度は下のほうへ。彫られているのは、見ざる・言わざる・聞かざるの三猿です。
一見すると、丸い玉を支えているような形。けれど、荻窪さんの説明に沿って膝や肘、手の位置をたどると、それぞれ目や耳、口を押さえる姿が分かります。猿だと分かってから、もう一度見るのが面白い!
荻窪さんは、簡略化された猿の表現に、漫画にも通じる感覚を見いだしていました。古道の話から、いつの間にか石の彫刻の見方まで教わっています。
塚山公園のカーブと、縄文人が暮らした高台
塚山公園のそばで、道は大きくカーブしながら下っていきます。荻窪さんによると、急な斜面を避け、緩やかに下るための道筋と考えられるそうです。地図で見た曲がり方を、今度は坂の上から確かめます。
ここで公園へ寄り道。ここでは、下高井戸塚山遺跡の縄文時代の集落跡が保存されています。園内には復元された竪穴住居があり、中をのぞくと、当時の暮らしを再現した展示が見られます。

復元された竪穴住居の中には、縄文時代の暮らしを再現した展示が。
鎌倉街道を歩いていたはずが、ずっと昔の住まいに出会いました。でも、荻窪さんがここで注目するのも、やはり地形です。
神田川が近くにあり、川より一段高い場所に集落がある。水を使いやすく、安全に暮らせる場所だったのではないか、と荻窪さんは説明します。
展示室の遺跡分布模型でも、川沿いの高台に遺跡が集まっている様子を確認しました。歩く人が急坂を避けるように、暮らす人にも土地を選ぶ理由があるのですね。
神田川の鎌倉橋で、道の行き先を読み解く
公園をあとにして、神田川の鎌倉橋へ。交差点に続いて、橋の名前にも「鎌倉」が残っていました。

鎌倉橋から眺めた神田川。橋の名前にも「鎌倉」が残っています。
ここで荻窪さんが紹介してくれたのが、江戸時代の地誌『武蔵名勝図会』の記述です。配付資料を見ながら、橋から北へ続く道の行き先をたどります。
大宮八幡の大門通りを経て、中野、さらに板橋方面へ。目の前の橋の話が、東京をつなぐ道の話へ広がりました。
荻窪さんによると、鎌倉街道という名の伝承は、鎌倉へ直接向かう道だけでなく、支道や連絡道にも残っているのだそうです。北へ続くこの道も、そうした道のつながりの中で考えると、位置づけが分かってきます。
ところが、橋を渡ったあと、そのまま北へ進むわけではありません。明治前期の地図では、道は途中で折れ曲がっています。
地図に描かれた曲がり方と、大宮八幡宮へつながる方向。その両方から、住宅街を抜ける道が古い道筋だったのではないかと、荻窪さんは考えています。私たちも、その見立てを手がかりに、曲がりくねった道へ入りました。
住宅街の段差と、道の真ん中に立つ大きな木
家々の間を歩いていると、擁壁の上に建つ家や、低い部分も使って建てられた集合住宅に出会います。荻窪さんの説明を聞きながら、道路と建物の足元を見比べました。
同じ住宅街でも、土地の高低差に合わせて建て方が違います。古道を探しながら歩くうちに、今ある家のつくりにも目が向くようになりました。

住宅街の坂道と擁壁。家の足元にも、土地の高低差が表れています。
やがて現れたのは、道の真ん中に立つ大きな木。道の脇というには、ずいぶん真ん中です。
荻窪さんは、こうした木陰で、昔の旅人もひと休みしたのではないかと想像していました。来た道と木の下を見比べると、荷物を下ろして日差しを避ける姿を思い浮かべたくなります。

道の真ん中に立つ大きな木。木陰で休む旅人の姿を想像しました。
大宮八幡宮で、いくつもの古道がつながる
大宮八幡宮が近づくと、上北沢からたどってきた道と、府中方面から続く道の関係を地図で確認します。荻窪さんによると、この周辺はいくつもの古い道が集まる場所なのだそうです。
この日は南側の参道から境内へ。最初に見た「鎌倉街道入口」から、曲がり角を一つずつたどって、ここまで来ました。大宮八幡宮が、周りの道とつながった場所として見えてきます。

住宅街の古道をたどり、大宮八幡宮の境内へ。
立ち寄ったのは、多摩清水社。荻窪さんは、古い絵図にも水のある場所が描かれていることを教えてくれました。
ご自身も真夏に自転車で訪れると、ここで手ぬぐいを濡らし、頭を冷やしてから先へ進むそうです。古地図の話と、荻窪さんが今も走っている道の話が、ここでもつながりました。
神門では夫婦銀杏(めおといちょう)にも目を向けます。この日はぎんなんの匂いもして、境内を歩いているだけで秋を感じました。
最初に見た「鎌倉街道入口」の先には、石塔の立つY字路、神田川へ下る坂、住宅街を抜けて大宮八幡宮へ続く道がありました。古地図に描かれた線が、一つずつ歩いて確かめた景色につながります。
次にこの交差点を通るときは、看板の名前だけでなく、その先の曲がり道まで思い浮かびそうです。
荻窪さんと歩いた新橋・銀座の近代建築ツアーレポートでは、窓や階段、エレベーターに足を止めています。同じガイドと、違う街の細部をたどったまち歩きもどうぞ。
※この記事は、2026年10月10日に開催したWANDER×WONDERのツアーレポートです。




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