銀座の近代建築を歩く!荻窪圭さんと新橋から路地裏へ|ツアーレポート

銀座通りから眺めた、ビヤホールライオン 銀座七丁目店。
新橋駅の鉄柱、ビヤホールの窓、ビルの奥にあるエレベーター。いつもなら通り過ぎてしまうところに、この日は何度も足が止まりました。
2026年10月4日(日)、WANDER×WONDERのまち歩きで、新橋から銀座へ。案内してくださったのは、古道や古地図をたどる街歩きでおなじみの荻窪圭さんです。
今回は、荻窪さんの新刊『古地図と地形図で発見! 明治・大正 東京の〈成り立ちと変化〉を歩く』(山川出版社)の発売を記念したツアー。配付資料の古地図や写真と、目の前の街並みを見比べながら、銀座の近代化の跡を探します。
新橋駅の待ち合わせ場所で、鉄道の歴史を見つける

新橋駅に保存された鉄柱の前で、駅の歴史を聞きます。
ツアーはJR新橋駅からスタート。さっそく荻窪さんが教えてくれたのは、かつて駅の階段を支えていた鉄の柱でした。
説明板を読んだり、柱に刻まれた文字を探したり。待ち合わせでここに来る人は、たいてい柱に背を向けているのだと、荻窪さんは話します。
「もったいないです」
何気なく立っていた場所にも、駅の歴史が残っていました。駅を出ると、高架橋の煉瓦のアーチにも目が向きます。電車に乗るための駅が、今日は見学する場所になりました。
SL広場を経て、向かったのは汐留の旧新橋停車場。現在の建物は、明治の駅舎を復元したものです。地下の遺構が見える場所や、当時のホームの位置を確かめながら、ここから横浜へ汽車が出発していたころを想像します。
今の新橋駅は、もともと「烏森駅」という名前だったそうです。東京駅の開業時に新橋駅へ改称され、初代の駅は汐留駅に。古地図で二つの駅の位置や線路をたどると、「新橋」という名前が移ったことが分かります。
金春通りで、銀座煉瓦街の名残を探す

金春通りで、銀座煉瓦街の名残をたどります。
続いて訪ねたのは、「新橋」という地名の由来になった橋の跡。親柱の文字を確かめてから、いよいよ銀座へ入ります。
ここでは、荻窪さんが示す昔の写真に注目。時計塔やビヤホールが写る景色と、今の通りを見比べます。鉄道で新橋に着いた人が、橋を渡って銀座へ向かう。私たちも、その道をたどってきました。
銀座通りから一本奥の金春通りへ入ると、今度は煉瓦街の名残を探します。荻窪さんが示したのは、発掘された煉瓦を使った「銀座金春通り煉瓦遺構の碑」。店先に、明治の銀座で使われた煉瓦が保存されていました。
金春通りという名前は、この一帯に能の金春流の屋敷があったことに由来するそうです。
さらに進むと、金春湯も見つかりました。にぎやかな表通りのすぐ近くに、銭湯があるのですね。
途中では、第一菅原ビルの丸い窓や階段室にも立ち止まりました。
銀座ライオンで気になったのは、窓のレバー

外壁の窓にも目を向けました。
銀座通りへ戻ると、資生堂の創業や、ソーダ水とアイスクリームの話へ。そして見えてきたのが、ビヤホールライオン 銀座七丁目店です。
昭和9年(1934年)に開店し、創建時の姿を受け継ぐ店内で知られるビヤホール。荻窪さんは、以前の取材で聞いた話を交えながら、外から見える部分を紹介してくれました。
この日、目を向けたのは、格子や窓、開閉用のレバー。店内のお客さんに配慮しながら、見えるところを探します。
荻窪さんによると、その窓は今では開かないそうですが、開閉用のレバーが残っています。外から建物を眺めているだけでも、かつて窓を開けて換気していた様子が浮かんできます。
歩行者天国に戻ると、話題は銀座という街そのものへ。
「銀座は常に変わっています」
新しい商売や文化を受け入れ、時代ごとに姿を変えてきた銀座。荻窪さんが地元の方から聞いた話も交えながら、その変化を教えてくれます。誰かにとって懐かしい銀座も、別の時代には新しい銀座だったのですね。
泰明小学校を、公園側から眺めてみる

公園側に回って、泰明小学校の校舎を眺めます。
銀座通りを離れ、次に向かったのは泰明小学校です。蔦の絡まる校舎が見えてきました。
現在の校舎は、関東大震災後の復興期、昭和4年(1929年)に建てられたもの。荻窪さんが教えてくれた特徴の一つが、アーチです。
正面から眺めたあとは、もう少し校舎がよく見える場所へ。案内されたのは、隣接する公園でした。
公園側に回ると、校舎の姿がよく見えます。荻窪さんが以前の取材で校内を見学したときの話を聞きながら、ここで少し休憩しました。
※この小公園は、普段は校庭の一部として使われています。外部に公開されるのは、小学校・幼稚園の両方が休みの土日・休日のみです。入口が閉まっているときは、立ち入らないでください。
教文館の階段と、足元のガス灯の説明板

教文館と聖書館、二つの名前が並ぶ入口。
再び銀座通りへ。和光の時計塔や三越を眺めながら、教文館・聖書館ビルへ向かいました。
昭和8年(1933年)に竣工したこのビルは、教文館と米国聖書協会が共同で建てたもの。建物は一体ですが、教文館側と聖書館側に、それぞれ入口や階段、エレベーターがあります。
この日は少し中へ入り、共通のホールから延びる二つの階段や、天井の装飾を確かめました。正面から一緒に見えた階段も、近くで見ると別々です。入口の名前だけでなく、階段にも教文館と聖書館それぞれのつくりが残っていました。
その先で、荻窪さんが案内してくれたのは「誰も気づかないシリーズ」。
次に足を止めたのは、ガス灯の前でした。荻窪さんが、今もガスで灯りをともしていると教えてくれます。そして、歴史を紹介する説明板は、ずいぶん低い位置に!
しゃがまないと読みにくいほど低いのだそうです。荻窪さんの案内で、灯りだけでなく足元にも目を向けました。
さらに近くの銀座教会では、ちょうど鐘が動いているところに出会いました。建物を見ているうちに、その音にも耳を傾けるひとときになりました。
奥野ビルで出会った、手で扉を開けるエレベーター

手で扉を開閉する、奥野ビルのエレベーター。
松屋銀座や銀座発祥の地碑をたどり、米井ビルのアーチ窓や柱の装飾を眺めてから、奥野ビルへ。
もともとは「銀座アパートメント」として建てられ、今はギャラリーなどが入る建物です。ここで気になったのは、二重の扉を手で開閉するエレベーターでした。
扉はどう開けるのか、どちらから閉めるのか。見慣れたエレベーターとは、使い方も違います。
この日は、たまたまエレベーターを利用する方に遭遇。その方が扉を開けて乗り込み、エレベーターが動き出すところまで見学できました。手で扉を開け閉めするエレベーターが、今も日常の移動に使われている。その様子に立ち会えたのは、うれしい偶然でした。
建物の外へ戻っても、話は続きます。上の階へ大きなテレビや冷蔵庫を運ぶなら、どうするのだろう。窓やエレベーターを眺めながら、話題はいつの間にか、ここで暮らすことや働くことへ広がっていました。
新橋駅の鉄柱、銀座ライオンの窓、奥野ビルの扉。荻窪さんと歩いたこの日は、ふだん通り過ぎてしまいそうな場所に、何度も足が止まりました。次に待ち合わせや買い物で訪れるときにも、もう一度立ち止まって見たくなる場所が増えました。
建物の細部から街を見るのが楽しくなった方には、皆川典久さんと歩いた日比谷の建築ツアーレポートもどうぞ。銀座のすぐ近くで、建物の高さや街の地形に目を向けたまち歩きです。
※この記事は、2026年10月4日に開催したWANDER×WONDERのツアーレポートです。




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