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WANDER×WONDER

福生の街歩きと田村酒造場見学|真貝康之さんと河岸段丘をたどる

7 時間前
読了時間: 7分
水色の外壁とハロウィーンの飾りがある福生アメリカンハウス

ハロウィーンの飾りが迎えてくれた福生アメリカンハウス。


米軍ハウスの室内から、横田基地沿いの通りへ。坂を下って商店街を抜けると、今度は水路の流れる酒蔵が待っていました。


2026年9月26日(土)、WANDER×WONDERのまち歩きで、東京都福生市を訪ねました。


案内役は、多摩武蔵野スリバチ学会会長・真貝康之さん。


JR青梅線の牛浜駅から歩き始め、福生アメリカンハウスを見学し、ベースサイドストリート、玉川上水を経て、田村酒造場の酒蔵見学へ向かいます。




牛浜駅から出発。福生の河岸段丘を歩く


福生の街歩きの出発地点となったJR青梅線牛浜駅の入口看板

この日の街歩きは、JR青梅線の牛浜駅から始まりました。


「今日はね、そういう意味で言うとすり鉢はないですね」


出発前、真貝さんが地図を使って説明してくれた、この日の地形のテーマは「河岸段丘(かがんだんきゅう)」でした。


福生には、昔の多摩川が台地を削ってつくった河岸段丘が広がっています。平らな土地が段になって続き、その間を坂がつないでいる地形です。歩いて確かめるのは、街の中に残る、その高さの違い。


真貝さんと土地の高低差をたどるまち歩きは、西八王子のツアーレポートでも紹介しています。


この日は雨の中での出発でした。傘を差して牛浜駅を離れると、初めは平らに見えた道の先に、上り坂が現れます。


真貝さんの案内で、まずは一段高い方へ。平らな場所を歩いている間も、次の坂がどこにあるのか気になってきます。


途中の踏切では、ちょうどやってきた電車に足を止めました。その先は、わらつけ街道へ。住宅の間に残る米軍ハウスを眺めながら、見学できる一軒をめざします。



福生アメリカンハウスで、かつての暮らしをのぞく


到着した福生アメリカンハウスは、1958年に建てられた、寝室が3つある米軍ハウス。当時の雰囲気を再現した室内を見学できる施設です。


この日は、ハロウィーンの飾りがお出迎え。傘を置き、靴を脱いで中へ入ると、施設スタッフの方が家のつくりを紹介してくれました。


クローゼットには、上部の収納である天袋もついているとのこと。浴室とトイレは、同じ空間に配置されていたそうです。


外から眺めていた米軍ハウスが、中へ入ると、暮らしの場所として具体的に見えてきます。


部屋をどう使っていたのかという質問には、もともと壁があった位置や、個室の配置を教えてもらいました。今の室内に、かつての間取りを重ねてみます。


やがて、施設の方からスリバチ学会の活動について尋ねられ、真貝さんが答えました。


「スリバチ学会は地形を愛する会」


地形と、その周辺の面白いところを歩き、地域の歴史や文化を学ぶ。そして、少し言い直します。


「学ぶでもないけど楽しもうという会」


室内を見て回り、ハロウィーンの飾りと一緒に記念撮影。お礼を伝えて、国道16号沿いへ向かいました。


福生アメリカンハウスの室内でWANDER×WONDERの旗を持つ参加者の集合写真

ハロウィーンの飾りに囲まれて、皆さんで記念撮影。



横田基地沿いのベースサイドストリートから、坂の下へ


ベースサイドストリートでは、横田基地を横に見ながら、古着やスニーカーの店、飲食店の並ぶ通りを歩きます。タイ料理店のそばでは、トゥクトゥクも話題になりました。


福生のベースサイドストリートで見かけたアメリカ風の看板と店先

国道16号沿いでは、店先の看板にも目が留まります。


道中、真貝さんの案内は福生の音楽文化へも広がります。街にゆかりのある音楽や、米軍ハウスを使った店の話をしながら、こんなひと言も。


「私、音楽好きなので」


自分で調べたり聴いたりしているのだと話す真貝さん。地形を案内する人の、もう一つの好きなものが見える場面です。


横田基地沿いを離れると、道は河岸段丘の坂へ。


「河岸段丘の坂を降ります」


真貝さんの声に合わせて、一段低い方へ進みます。坂を下った先では馬頭観音に目を留め、飲食店やライブハウスのある通りへ少し寄り道。基地沿いとは、また違った景色になりました。


福生の住宅街で傘を差し、坂を下るツアー参加者

傘を差して坂を下り、街の高低差を歩いて確かめます。


さらに、ハムやソーセージを扱う直売所の前では、冷蔵で持ち帰れるかどうかが話題に。青梅線を越えると、銀座通りの商店街へ出ました。



小さな高低差をたどり、玉川上水と田村分水へ


商店街の先でも、真貝さんが河岸段丘を一つ下りる場所を教えてくれました。急坂ばかりが地形の境目とは限りません。わずかな傾きにも、土地の高さが変わるところがあります。


途中の曲がった道では、暗渠のように見えるという話も出ましたが、真貝さんの説明では、ここは暗渠ではないとのこと。曲がった形だけでは、川の跡とは言い切れないのですね。


古い郵便局の建物に残る郵便のマークを見つけ、さらに進むと、玉川上水と田村酒造場の敷地が見えてきました。


真貝さんが教えてくれたのは、玉川上水から水を引く「田村分水」の取水口と、その先の水車小屋。


蔵へ入る前に、まず外から、水が敷地へ入っていく位置関係を眺めます。この水の続きは、後半の見学でたどることになりました。



田村酒造場の庭へ。水路の先に、精米の仕事があった


到着した田村酒造場は、文政5年(1822年)創業。日本酒「嘉泉(かせん)」を造る酒蔵です。ここからは蔵のスタッフの方に案内をお願いし、敷地の奥へ進みます。


田村酒造場の白壁の建物と杉玉、その奥に立つ煙突

杉玉の下から見上げると、蔵の屋根の向こうに煙突が見えました。


本玄関や奥座敷を見て、大きな欅のそばへ。蔵の屋根の瓦にある印を探したり、足元に残る井戸を掘った跡を教えてもらったり。


建物の正面だけを見ていては気づかなかったところにも、話がありました。


鯉の姿が見える流れまで来ると、田村分水の説明です。外から眺めていた水路が、ここまで続いていました。


田村酒造場の庭園を流れる田村分水と両岸の木々

庭を流れる田村分水。街からたどってきた水路が、蔵の敷地へと続いていました。


水車小屋では、かつて使われた石臼や、水車の軸を支えた石を見学。水車そのものは残っていませんが、昔は、この流れの力で水車を回し、米を精米していたのだそうです。


田村酒造場の水車小屋のそばに並ぶ石臼などの石製品

水車小屋のそばに残る石臼から、かつての精米の仕事をたどります。


米を削る仕事を、水が動かしていた。その仕組みを聞いてから玉川上水側へ進むと、取水口と、先ほど見た分水のつながりが分かります。


田村分水は、地域の暮らしや田畑を支えてきた水路でもあります。田村酒造場の公式説明では、酒の仕込みに用いるのは、敷地内の井戸で得られる秩父奥多摩の伏流水。「嘉泉」の名には、酒造りに適した水を得た喜びが込められているのだそうです。田村酒造場の歴史


地域を潤す水、精米の動力になった水、酒を仕込む水。水路と蔵を歩いて見てきたことで、それぞれの役割が具体的になりました。


水路と地形の関係が気になったら、真貝さんと大丸用水や多摩丘陵のふもとを歩いた稲城のツアーレポートもどうぞ。



煙突の内側から、手元の米へ。酒蔵の中を見学


屋外を歩いたあとは、スリッパに履き替えて蔵の中へ。外から見た大きな煙突を、今度は内側から眺めました。


その先の釜場では、米を洗い、水に浸し、蒸して冷ますまでの工程を、設備を前に教えてもらいます。


ここでは、お米のサンプルを皆さんで回しながら見比べる場面もありました。玄米と、削ったあとの米。粒の大きさや、白く見える部分に注目します。


続いて、米から麹をつくる部屋、「麹室(こうじむろ)」をのぞきます。麹の香りも話題になりました。


蒸した米から麹を造り、酒母を育て、もろみのタンクへ。蔵の中を移動しながら、酒造りの工程を追っていきます。


タンクの近くでは、目についたホースについて質問が出ました。教えてもらったのは、蒸した米を空気の力で送る仕組み。大きなタンクの間をつなぐ設備にも、米を運ぶ仕事がありました。


田村酒造場の蔵内に並ぶ酒母タンクと頭上を通るホース

蔵の中で見上げたタンクとホース。設備を前に、酒造りの工程を教わりました。


酒を搾る装置や吟醸仕込み室も見学し、蔵内の案内は終了。お礼を伝えて集合写真を撮り、ショップで日本酒や試飲機の案内を聞いたあとは、自由時間となりました。


米軍ハウスでは、暮らしていた人を間取りから想像する。街では、小さな坂から地形の変わり目を知る。酒蔵では、水路や道具から、酒を造る仕事をたどる。


福生を歩いたこの日は、家の中にも、足元にも、工場の設備にも、立ち止まる理由がありました。


真貝さんと歩いた道を思い返すと、国道16号沿いの店と酒蔵の間にあった、ささやかな坂道まで印象に残ります。


※この記事は、2026年9月26日に開催したWANDER×WONDERのツアーレポートです。田村酒造場は今回、団体で見学しました。個人で訪ねる際の見学内容・料金・申込みは、田村酒造場の公式見学案内をご確認ください。


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