【向島】消えた線路を追って、隅田川七福神へ!小林政能さんと歩くツアーレポート
2026年9月13日(日)、境界協会・小林政能さんの案内で向島へ。今回のWANDER×WONDERのツアーは、東向島駅から浅草まで、京成白鬚線の廃線跡や昔の水路をたどりながら、隅田川七福神ゆかりの寺社をめぐるまち歩きです。
廃線跡に向島百花園、川沿いの神社、そして団子と桜餅も!おなじみの名所へ向かう途中にも、小林さんと歩けば、立ち止まりたくなる場所が次々に現れます。

京成白鬚線の廃線跡を、道の高さから探す
ツアーは東武線の東向島駅からスタート。かつて「玉ノ井」と呼ばれていた駅です。資料の古い地図には、今はない別の鉄道も描かれていました。
今回、最初にたどるのは「京成白鬚線」の跡。京成玉ノ井駅から白鬚駅までを歩きます。ただ、廃線跡といっても、分かりやすくレールが残っているわけではありません。
「痕跡はほとんどないんですけど、見る術は何となくわかったんで」
その手がかりが、地面の高さ。かつて白鬚線は、東武の線路を上から越えるために盛り土をしていたのだそう。小林さんは地図の印を示しながら、周囲より少し高くなっている場所を探していきます。
京成玉ノ井駅があったと考えられるあたりへ進むと、道路の先や、まわりの家の高さを見比べました。確かに、一帯が少し高くなり、その先はまた低くなっています。
駅の位置については「地形的に僕はそう判断した」と小林さん。駅の範囲がはっきり残っているわけではなく、古い地図と目の前の起伏を手がかりにした、小林さんの見立てです。
少し進んだ先でも、小林さんが足を止めました。
「あの道路がなんかちょっと背骨っていうかさ、高いラインになってるの分かります?」
言われてみると、道が背骨のように高く、その両側が低くなっています。大きな坂ではないだけに、一人で歩いていたらそのまま通り過ぎてしまいそうです。
廃線後の土地は払い下げられ、住宅地の中で跡を追うのは難しくなったそう。ところが、下見の際、白鬚神社で会った方から思いがけない話を聞けたといいます。
昔の線路に沿った線引きが、今も町会の境に残っているらしいのです。現在の道路で区切っているのではなく、昔の区切り方をそのまま引き継いでいるのだとか。
「大変素敵な話を現地調査をしたら拾いました」
道中では、家のそばに置かれた枕木も気になりました。ただ、こちらは白鬚線の痕跡とは考えていない、と小林さん。線路跡の近くにあっても、この枕木は別のものとして見ているのでした。
やがて、かつての終点・白鬚駅があったあたりへ。説明板の前で、この短い鉄道が生まれた理由を聞きました。
電車が走っていたのは、昭和3年から昭和11年までの約8年間。小林さんによると、隅田川を越えて都心へ入りたかった京成が、白鬚橋の先へ路線を延ばそうとしたのが始まりだったそうです。
しかし、その後、京成は別の経路で上野への乗り入れを実現。こちらから先へ延ばす必要が薄れ、白鬚線は短い歴史を終えることになりました。
白鬚神社へ。七福神が、ひとつ足りない?
廃線跡を離れ、今度は隅田川の堤防のそばにあった水路をたどります。
堤防の川と反対の側に、水路が沿う形はよく見られるのだそう。資料で位置を確かめながら、昔の流れに沿って進みました。線路の高まりに続いて、今度は道になった水路探しです。
立ち寄った白鬚神社では、お参りの後に隅田川七福神の話を聞きました。
「えっと、6個まで揃ったんですよ、七福神が」
近くの寺社を見渡して、六つまでは揃ったものの、寿老人がいない。そこで、白いひげを持つ神様に目をつけたのだそうです。
「白いヒゲは寿老人じゃね?」
白いひげを手がかりに、最後のひとつを揃えたというわけです。白鬚神社が七番目に加わったのだと聞きました。

続いて向かったのは、向島百花園。七福神の話は、この庭にもつながっています。
小林さんによると、百花園は、文人たちが集まるサロンのような場所でもあったそう。園主が信仰していた福禄寿を起点に、近くにも毘沙門天がある、と周辺の神様を数え、その面々で考えたのが隅田川七福神なのだといいます。
白鬚神社で聞いた「あとひとつ」の話も、ここに集った人たちの相談から生まれたもの。七福神巡りの始まりを聞いてから、園内へ入りました。
向島百花園の花を楽しみ、地蔵坂へ
今はさまざまな花が見られる向島百花園ですが、もともとは梅園だったそうです。
「今ね、いろんな花があって、1年中ほぼ花があるようにしてるんですけど、もともとはここは梅園です」
そこから少しずつ花の種類が増え、梅の次には萩など、秋の花が加わっていったのだとか。
園内を見て回る時間には、花の香りも話題に。「すごい甘い香りがする」「いい匂い」と声が上がり、葛の話から、葛粉はどこから作るのかというやり取りも。花を見たり、香りを確かめたりしながら、庭の中でひと息つきました。

百花園を出て再び歩き始めると、小林さんの解説はまた、足元の高低差へ戻ります。
地蔵坂にやってきました。坂といっても、急な斜面がそびえているわけではありません。ここでは、堤防を上り下りする地形が坂になっているのだそう。
「渋谷の方に行ったらこんなの坂じゃないと言われますけど、墨田区ではこれが坂だと」
白鬚線の跡に続いて、ここでもわずかな高低差を確かめながら歩きました。
通り沿いでは、草餅の店も話題になりました。季節によってよもぎの調達先を変えていることや、あん入り、あんなしの食べ方まで。地形の話を聞いていたはずが、だんだん甘いものも気になってきます!
水路と旧区境をたどり、言問団子と長命寺桜もちへ
さらに一本奥の道へ入ると、昔の水路と旧区境が重なる場所に出ました。
小林さんによると、今の墨田区になる前の区の境が、この水路の線に沿っていたのだそう。道の脇には、境界と関係がありそうにも見えるものがありましたが、何なのかは小林さんにも分からないといいます。
「これがなんだかがよくわからないですよね」
区が合わさる前からあったものなのか、もっと後のものなのか。正体は分からないまま、先へ進みます。
向島という地名にも、少しややこしいところが。小林さんの説明では、昔の向島と、現在「向島」という町名が付いている範囲は、ぴったり同じではないそうです。
かつて隅田川が二股に分かれ、このあたりが島のように見えたことから「向こうの島」で向島になった、ともいわれているのだとか。
川沿いの別邸の話などを聞きながら進み、やがて言問団子と長命寺桜もちの近くへ。
「僕は桜餅派なんで」
「両方買いたい人もいると思う」
そんなやり取りの末、ここで買い物の時間を取ることになりました。団子を買いに行く人も、桜餅を選ぶ人も。それぞれに向島の甘味を楽しみます。
桜餅を味わいながら話題になったのは、包んでいる葉っぱの塩味です。
「好みでさ、葉っぱの枚数変えてさ、自分で塩味を調整するもんさ」
葉が三枚あるので、どれくらい一緒に食べるかで塩加減が変わる。「これ夏にいいんだよね、しょっぱくて」という声も聞こえました。餅のおいしさはもちろん、葉っぱの食べ応えについても話が弾みます。

団子を買いに行った人たちを待ちながら、気になってきたのはお寺の閉門時間です。
「ちょっとルート的に変更しよう。もうみんないる?」
そろったところで、再び出発。甘味の寄り道の後も、まだ立ち寄りたい場所が続きます。
長命寺から弘福寺へ。神社が移った理由も
向かった長命寺は、残念ながら閉門していました。外からお話を聞くことになりましたが、ここでも、先ほどの桜餅の話が続きます。
小林さんが紹介してくれたのは、江戸時代の売れ行きを、桜の葉の数から考える話。当時の資料には、一年間に塩漬けにした葉が77万5,000枚と記録されているそうです。
その頃は一個に二枚ずつ使っていたことから、年間で約38万個の桜餅が売れたという説があるのだとか。今度は資料の絵も見ながら、桜餅を運ぶ人の姿を探しました。さっき口にしたお菓子が、江戸の絵の中にも登場します。
続いて隣の弘福寺へ向かうと、こちらは開いていました。
ここで小林さんが示したのは、古い地図に描かれた牛島神社の位置。後ほど向かう神社ですが、もともとは長命寺や弘福寺の隅田川寄りにあったそうです。
古い地図ではこのあたりに記されている牛島神社が、別の年代の地図では、もっと南へ移っています。関東大震災の後、川沿いに隅田公園をつくるため、場所を移したのだといいます。
移転先は、水戸徳川家の屋敷があった土地。小林さんは、震災後に川沿いを公園として整えていった話と、神社の移転を結びつけて説明してくれました。
説明の後は、弘福寺でお参り。ここでは飴を買う人もいて、「今日はお土産多いね、割とね」という声も聞こえました。

寺を出て、牛島神社がもともとあった場所も確認。地図で示された位置を、実際の道と見比べてから先へ進みました。
そこから歩く道中には、料亭や向島の芸者さんの話題も。見番の提灯には明かりがついていて、「ちょうちんがつくといいですね」「雰囲気が出ますね」と、足を止める場面がありました。
三囲神社の門の外から見つけた、三越のライオン
続いて到着した三囲神社も、残念ながら閉門していました。中へは入れませんでしたが、小林さんの案内で、外から境内をのぞいてみます。
目を向けた先にあったのは、どこかで見覚えのあるライオン像。小林さんによると、池袋の三越が閉店した際、こちらへ移された像なのだそうです。
三囲神社は三井家が信仰してきた神社。そのつながりで、百貨店のライオンがここに来たのだと聞きました。
小林さんは、境内の奥にある碑についても紹介してくれました。外からかろうじて見えるものもあれば、ここからでは見えないものもあります。
続いて資料を見ながら聞いたのは、土手の方を向いた鳥居の話でした。
「川側から入る用の鳥居という意味合いもあって」
隅田川には渡し船があり、対岸から船で神社を訪れる人もいたそう。小林さんは、川を渡った先から吉原へ続く道筋も示してくれました。資料の上で、船で来る人から見た神社の入口を確かめます。

恵比寿と大黒天が祀られているという境内へのお参りは、またの機会に。次は牛島神社へ向かいます。
牛島神社から隅田川を渡り、浅草へ
牛島神社に着くと、こちらは開いていました!
「ここは開いててよかった、牛島神社」
境内には牛の姿がいくつもあり、撫牛にも目を向けながら参拝。小林さんからは、空襲でも焼けずに残ったという木造の社殿の話を聞きました。横にも鳥居が付いた、少し変わった形の鳥居も気になります。

お参りの後は、水戸徳川家の屋敷跡を通って隅田公園へ。先ほど地図で聞いた、牛島神社が移ってきた先を、今度は実際に歩きます。
枕橋まで来ると、また川の話に。橋の下を流れる水路は、時代によって隅田川とつながったり、切れたりしてきたのだそうです。
船の行き来には、つながっている方が便利。でも、洪水が起きると困るので埋める。そして……
「しばらくするとそれを忘れて、また掘るんですよ」
古い地図で川の形が違っているのには、そうした経緯もあるとのことでした。
すみだリバーウォークを渡り、いよいよ浅草側へ。隣を通る東武線の話では、浅草駅が最初は「浅草雷門」という名前だったことも教わりました。川を越えて繁華街へ入ろうとした鉄道の話が、初めに聞いた京成から東武へつながります。

川を渡り切った先では、小林さんおすすめの撮影場所にも立ち寄りました。スカイツリーそのものと、建物に映ったスカイツリーを一緒に撮れるという場所です。
「ちょっとワイドのやつを撮ると、リアルと写ったやつ両方撮れる」
足元のわずかな高まりを探していた時間から、最後は川向こうの景色を眺める時間へ。浅草で、この日のツアーはゴールです。
入れなかった寺社もありましたが、廃線跡に町会の境、七福神の成り立ち、花の香り、桜餅の塩味と、盛りだくさんの向島歩き。最後に小林さんからは、「今日はでもね、久しぶりに天気が良くて良かったです」という言葉も。
線路は消えていても、道の高さには名残があるかもしれない。次に向島を歩くときには、神社やお店へ向かう途中の、何気ない道にも目を向けてみたくなります。




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